《写真を楽しむ 第1ステップ 撮影する》
究極は良い作品づくりですが、その前に撮影の上達には段階があると思います。カメラを買ってから1年間はとにかく撮影することです。
ここまでやると、ほぼやりきった感じがするものです。
この段階でどういうメンタリティを持つかで、その後の運命が分かれます。
「いい写真をとれないから、面白くない」
カメラに飽きるか、カメラコレクターになるか、スナップ写真に終わるひとも多いと思います。
記録の写真はすぐにつまらなくなります。それは、技術がない初心者にうまい写真など撮れるわけがないからです。
記録の写真は「客観的写真」であるのに対して、つくり手の意思の込められた写真は「主観的写真」です。
何かのきっかけで「新しい写真の世界」と出会えると、次のステップに進むことができます。
ここからが、本当の「作品づくり」の入り口です。
《写真を楽しむ 第2ステップ 作品づくり》
アメリカの歴史的な写真家アンセル・アダムズは、ヨセミテ公園の写真を撮って、実際の感動がまったく作品に表現できない自分の技術力に打ちのめされたそうです。そこから、本格的なヨセミテ公園の作品づくりの道にはいったいうエピソードがあります。
写真は、撮る(take)のではなく、作る(make)であるという名言が生まれました。
写真にはカメラで写すこと(記録)が目的の写真と「作品づくり」を目的にする2つの領域があることに気づきます。
ある程度撮影していくと「作品とは呼べない写真」しかとれないことに悩み始めます。
記録の技術もないのに、作品づくりを始めて良いのかどうか。と謙虚な考え方をするひとは多いと思います。
「いい写真を撮る技術を学んでから、作品を撮ろう」という発想は間違いです。常識的にそう考えがちです。それは作品を作らないための言い訳だということに気づくべきです。
写真技術者や職業写真家は前者ですが、アーチストとしての「写真作家」は「作品づくり」から始めるのがよいと思います。
多くのアーチストは一生をかけても、自分が100%満足できる作品はのこせないものだと言います。
「作品づくり」のモチベーションを持てるかどうか。
《写真を楽しむ 第3ステップ 発表する》
作品を自分以外のひとに見せて反応を楽しむ。これは作品づくりの醍醐味の一つです。
しかし、自分自身で満足出来る作品はほとんどつくれません。また、どれがいいのかもわかりません。
昔は、プロしか発表することができなかったのが、インターネットの時代にはだれでもできるようになりました。
発表の手段
写真は、言語の壁を超えた作品であることが面白い点です。インターネットによって地理的な制約がなくなり、世界中の人々に「発表する」場ができました。しかも、お互いにコメントしあうこともできます。
2008年頃から本格化したソーシャルネットワークは、写真だけの世界でも広がっています。
続く