デジタルカメラで撮影したRAWデータを作品に仕上げるには、「現像」作業が必要です。
これは、フィルムを暗室で化学薬品をつかって現像して色を出してポジやネガを作る作業と同じです。
この現像作業は、一部のハイアマチュアやプロにしか馴染みのないものです。しかし、デジタルカメラにも、この「現像」作業が不可欠なのです。
せっかく高価な一眼レフを買っても、自動の「JPEG撮り」で撮影しているのはもったいことです。これでは、コンパクトデジカメで「Pモード」で撮影しているのとあまり変わりません。
色の階調も、色のバランスもRAWから現像した画像とは大きな差があるのです。
単純にJPEGは色の数と階調の数がRAWとくらべて大幅に少なくなります。
これは、「圧縮」といわれます。
→ 「色空間」の設定の問題
JPEGに圧縮した画像を、「フォトショップ」で加工すると、さらに画像は「劣化」します。
最近、パソコンを勉強した写真ファンには、フォトショップ(エレメンツ)で画像加工をしているひとがいます。しかし、これは「レタッチ(後加工)」という作業であり、「現像」とは別物です。
実際にRAWで撮っているといっても、カメラに付属のDPPなどでただJPEGに変換するだけでは、自動のJPEGよりもきれいな写真はつくれません。それは、お化粧前の素っぴん状態のJPEG画像だからです。
まずは基本現像から
そして、さらに仕上げるには
以上の作業を経て、作品としてJPEG画像を完成させることができます。
デジタル写真の現像は、伝統的な写真術の暗室でのフィルム現像・プリント作業とよく似た作業です。とくにデジタル写真の場合は、フィルム写真でできたことをパソコンに置き換えただけです。
2005年頃からパソコンとソフトの性能があがり、写真家が自分でRAW現像が出来るようになりました。アメリカでは2010年以降にはフォトショップのCamerarawよりも一般的になっています。
一方、カメラのJPEG撮影で撮りっぱなしで出てくるJPEG画像の写真は「自動仕上げ」です。これだと、一眼レフカメラをつかって、コンパクトデジカメとおなじようなレベルの作品づくりになります。
プロでも、昔の人はフィルム写真の常識にとらわれて、撮影時に完璧な状態でシャッターをきれば、フィルムと同様の写真が撮れると勘違いしているひとがいます。
もちろん、プロなら作品づくりのクォリティに妥協せず、より良い作品づくりの技術力の余地を自分で開拓するはずです。
あるいは、お金が貰えれば、それ以上の品質は必要ないという職人的な発想であればそれで良いのかもしれません。採算を度外視して時間をかけても、職業カメラマンには何の得もありませんから。
むしろ、アマチュア写真家は、その点では妥協する必要がありません。可能な限り時間をかけ、自分が撮影した作品の最も納得できる仕上がりを目指すべきです。
現像に関する知識とノウハウを学んで、自分の眼と色の感覚をパソコンで再現する技術を身につけるよう努力すれば、それは自分の作品に反映されます。
パソコンは、どちらかと言えば、写真家が苦手な領域かもしれません。撮影が80%で(現像はなし)プリントが20%という人がほとんです。
特にベテランの写真家には宇宙人のようなパソコン用語に、「現像」には手も足も出ないひとが多いようです。
カメラに内蔵した画像処理エンジン(CanonならDIGIC)で行う「JPEG撮り」を極めたらどうか。
そのような「カメラ職人的な」努力は作品レベルを向上させることにはならないので、しないほうが良いと思います。JPEG撮りは、カメラ内の自動RAW現像です。RAWデータは、JPEGを現像したあとカメラ内捨てられ消えてしまい保存されません。
JPEG撮りは、一般的で標準的な写真(?)を基準に、色、明るさ、輪郭の線などを調整してJPEG画像として保存しています。
しかし、これでは良い仕上がりの写真作品にはなりません。初心者は「ピクチャースタイル」という被写体別の設定を適用します。例えば、風景、人物、夜景など。
しかし、これらはいずれも、コテコテの厚化粧なので、ぱっと見はきれいな絵に見えますが、ファミリーや旅行写真のスナップショットのようになります。このような写真は、スマートフォン写真とかわりません。
日本はカメラ機材を作るのは世界一ですが、写真作品は総じてレベルが低いといわれます。特に、彩度が高い、ハッキリくっきりの記録写真をみるとそれが実感できます。写真作品が絵画のような価値をもって取引されることも、ほぼありません。
特に、風景写真を「風景」のピクチャースタイルで撮影しているひとは、とても残念なことになっています。
せっかく、高解像度で適正露出で撮影したJPEG画像ですが、風景のピクチャースタイルを使うことで、繊細な光の階調がマジックで描いたような画像になります。繊細な階調は失われます。
くっきりとして、「コントラストが上がる」ということが、どれだけ、「多くの光の情報を蓄えたRAWデータ」の階調を「つぶしている」のかということを、理解せずに使っているのです。
私は、特に「絞り開放でレンズのボケ味を表現として作品づくりに活かしたい」と思っています。一般的な写真の定義とは異なると思いますが、写真は、「光で描く色とカタチの世界をつくること」だと私は理解しています。
すべて、RAWで撮影して、ライトルームで現像しています。
まだまだ、技術的には試行錯誤ですが、やっとJPEG撮りのレベルは超えたとおもいます。
RAW現像の技術が未熟でも、やり続けることで見えてくるノウハウがあります。そのため「JPEG撮り」はつかいません。JPEG撮りは、明らかにレンズがとらえた色と光の多くを失って画像を保存するからです。
できるだけ、「自然の光の状態を再現するための光と色とカタチの調整」を「現像」で行います。何も何回も、時間をかけて行います。階段は、一段上がると、次の階段がみえるようになります。ですので、数日で完成ということはなく、3ヶ月後、1年後にあらためて、現像をすると、明らかに作品レベルは向上するのがわかります。
目の網膜でとらえて、脳内で感じる「光の像」を色とカタチで再現するための現像作業
を目指しています。
(ちなみに、私の作品のボケ表現も色もパソコンによる加工ではなく、レンズを通した光の像そのものです。それを再現するための)
きちんと現像した写真は、「JPEG撮り」とは比べ物にはならない仕上がりにすることが可能です。色、階調、コントラストは人間の目で見て、脳で感じつつ、調整することで、より「自分の作品」のレベルに仕上げることができるのです。
もちろん、知識と技術力と経験は必要です。
撮影に精通し世界的に評価が高い映画監督は、映像作品づくりにおいて、「線やカタチはストーリーを表現し、色は感情を表現する」そうです。これは、「モノクロはストーリーを、カラーは感情を表現する」ということだと私は解釈しています。
「感情をつかさどる色の表現」は、とても繊細で不思議な世界です。印象派のモネや後期印象派のゴッホが、色と光にこだわりました。
それは、レンズを使った写真技術の世界が花開いたことが影響しています。